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どうでもいいことなど何もない

 

私が天意を観じ、スピリチャルを信頼するようになったのは、

 

写真家時代に、岡山にあるNPO団体のフィリピン視察旅行に、カメラマンとして招待された時、

 

現地で戦死した方々の霊を清浄する係として同行した方の一言がきっかけでした。

 

 

それは、

 

この世に、どうでもいいことなど何もない

 

裏を返せば、この世のモノコトは、全て素晴らしい

 

 

この一言を聞いた瞬間に、それまで怪訝な目を向けていたスピリチャルを受け容れ、

 

「この人の話を もっと聞きたい」と、個人セッションを受け、個人セミナーにて、スピリチャルの土台を伝授して頂きました。

資料を沢山もらいましたが、どれも常識を超えた情報ばかりで、頭で教わるというより、氣の授受がメインのセミナーでした。

 

 

そのセミナーの切り口は《人類の進化(神化)でした。

 

これがスピリチャルの入口だったので、こぞって意識の覚醒に向かっているのが不思議な光景に映りました。

 

 

私は、個人セッションに肝銘を受けて、その1か月後に、それまで市名さえ知らなかった広島県三原市に移住したので、

 

発信元の一言が、人生を一変させるほどの影響力があるのを、私自身が熟知しています。

 

 

疑り深い人には当たり障りなくても、素直な人にはダイレクトに届きます。

 

ですから、常に本氣で向き合うのは当然です。

 

 

自分自身が実行しないことには、変容も へったくれもありませんが、

 

それまで頑なに拒否してきたモノコトを、100%の歓び受容するのは、生半可な決意では出来ません。

 

 

自我の延長で「やっている」と、中途半端な状況が繰り返されて、恐怖が助長することもあります。

 

ほんの少しでも、疑いや不安があるうちは、氣が安定しないので、現実面も不安定です。

 

 

でも、いかなる瞬間も、意識が起きていれば、どんなに苦しい状況も、受容するチャンスですから、魂としては喜ばしい現象なのですが、

 

それが本当に納得できるのは、全身感覚で理解して、疑いようがなくなった時です。

 

 

その感覚が板につくと、日々の精進が面白くなります。

 

神化(進化)のアップデートが愉しくなってきます。

 

 

霊的成長の気づきを与えるのは、人だけではありません。

 

身の回りに存在する植物や生き物たち、日常生活の一コマなど、あらゆるモノコトに神を観ることができます。