荼毘に付す業務に携わる前は、死の恐怖になぞらえて、
「肉体死と対峙する中で、史上最強の醜いエゴが浮上してくるに違いない」と思っていました。
しかし、実際は只々静寂を感じるのみ。
連日30ほどのご遺体・お遺骨と接しておりますが、業務での感情の浮き沈みは一切起きないため、
シンプルに【肉体死は新陳代謝のサイクルの一つ】と認識するに至りました。
むしろ、新人潰しが常態化している現場に辟易するエゴが浮上したことで、
エゴはエゴにしか反応しないという事実が判明しました。
こんなにも命の静寂を身近に感じられる希少な現場でありながら、
正直、これまでのどの職場より、天意のバイブレーションで存在することが難しい。
威圧を振る舞う者を尊び祝うなんて、エゴは「絶対イヤ」です。
ただし、エゴは単なる反応であって、その奥に在る命の温もりから相手を観ると、「出来るかも」という隙間が生まれます。
「出したものしか返ってこないとわかっちゃいるけど、こんなに陰湿なことしたっけか?」
と、自分の言動を省みると、たい焼き屋社員時代には、社員(=わたし)と合わないという理由で辞めた学生もいましたし、
「無意識に誰かを追い詰めていたかもしれない」と認め、
天意のバイブレーションで存在すると同時に、無理せず適度な距離と温度で関わると決めました。